「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に…」
天上の神と、地上の人間の政治は、別物です。
両者を一緒くたにする事は、人間が神を僭称してしまう行為です。つまり僭称者、666、現人神であり禁止なのです。
キリスト教は宗教であって政治ではありません。
つまり、右翼でも左翼でも無いし、グローバリストでも国家主義者でも民族主義者でもありません。
古代ローマ帝国のヘゲモニーを握るのが、皇帝がだろうと閥族派だろうと平民派だろうと、教会には一切関係ありませんでしたし、国教化後も皇帝と教皇を兼務した者など一人もいません。
これは、権限、権能の問題です。
ですから、宗教家は政治的意見を持って良いし、政治家は宗教家と同じ意見を持って良いのです。
また、宗教家は投票に行って良いし、政治家は宗教を信じて良いのです。
分野ごとに権限が分割されていれば、つまり越権が無ければ問題無いのです。
そう言うわけで、カイザルが自らを神格化し崇拝を求める事は禁止だったのです。つまり一人の人間が政治と宗教の両方の権限を握る事は禁止と言う事です。
そして、世の中の終末には、両方の権限を握る僭称者、つまり666が現れる事になっており、それは記述の内容から人工知能かも知れないとも言われています。