日本社会って、自国の臭い物を海外の事物の名前で呼ぶ習慣?が有るよね。敵を増やすんじゃないの? - ミュータントはコバルト爆弾を崇拝するか?
日本はかつて、旧枢軸国の「ラスボス」でした。旧枢軸諸国の中でも最後まで降伏しなかったからです。現在でも、第二次世界大戦の戦勝記念日は対日戦勝記念日ですね。そして依然として、国際連合の国連憲章の敵国条項適用国です。
しかしながら戦後日本は、他の旧枢軸諸国と違って責任者であった国家元首を裁かず、制度面でも連続性が維持されました。ですから、この国で言う保守とは、当時から連続性の在る枢軸要素の残存であり、謂わばそれはネオ枢軸なのです。
これは、旧連合国側での保守とは全く違うものです。欧米や共産主義国には、それぞれヘレニズムやヘブライズムや中華など、引き継いで来た要素が有り、それらの後継国家なのです。日本の神社や天皇なんて存在しません。当たり前ですよね。
ですから、日本オワコンのオワコン紛れに、海外には存在しない日本の旧枢軸要素を、旧連合国側に在る事物の名で呼び替えるなんて所業は、今までも日本人が自国の臭い物を、ダッチワイフとかトルコ風呂とかヤンキーなどど他国の事物の名で呼び替えて来た事同様に意味不明な所業です。
こんな事は、日本オワコンに向けた確実性をより一層担保する事になるだけでしょう。
先の大戦を招いた、野蛮で獣的なかつての日本の国教に付いて、この種の呼び替えをする事もまた、行動原理が不明な、恥ずべき行為だと思いますよ。それらは日本には古くから在り、反対に、海外には無い物なのですから。
聖書主義、神中心主義のキリスト教会は、聖書以外の根拠を持たない一番シンプルな教派です。色々な文化が付随していない、一番共通項な中心部分だけと言えるものです。
それらは、いずれの国家や民族とも関係ありません。全ての教派に共通である三位一体の一人の主と、その言葉である聖書だけと言う教派ですからね。
しかし、日本の人々はそれを海外の保守勢力と見做して、その名を、自国の野蛮で獣的な先の大戦の遺物たる多神教を指す呼び替えに借用し、自らの臭い物をなすり付けているのですから、全く恥知らずな所業ではないでしょうか?
これは、かつて自国の臭いモノに、ダッチワイフやトルコ風呂やヤンキーなどと命名した時以上の、酷い振る舞いでしょうね。
ダッチワイフやトルコ風呂の件では、それぞれ先方からクレームを頂いているそうです。インドネシアでのオランダ人女性に対する戦時犯罪や、多くの日本人がトルコ風呂を本当にトルコの伝統だと勘違いした事実を思えば、非常にイタい事例だったとしか言いようがありません。
かつての日本の国教は、国際社会の許容範囲からは逸脱している物です。それだけに、それに対する対処が、謝罪や賠償や引責や制度断絶では無く、上記の様であるのは、もう日本オワコンに向けた、とっておきのイタさなのかも?知れませんね。