ミュータントはコバルト爆弾を崇拝するか?

超管理社会としての日本社会は、超監視体制を実現しており、社会全域を監視ショー会場へと変えています。 市民達は超管理社会に従属する見返りに残虐な監視ショーを与えられ楽しんでいるのです。 この666的な文明が科学崇拝や環境破壊の原因でもあります。

モノカルチャー化と押売りで収奪されていた経験と、大軍で押し寄せ直接カツアゲされた経験とでは、随分と違う記憶として残ったでしょうね。

第二次世界大戦後に独立した新興の諸国は、独立前の時代は、宗主国からモノカルチャー経済を強いられ、宗主国の工業製品を買わされると言う形での収奪を受けていました。植民地経営ですね。

各植民地が、それぞれ得意な品目の生産に特化させられるのがモノカルチャーです。現地支配には地元の代理勢力を使い、彼らに管理させる事で分断統治していたのですね。

この形は、宗主国の産業化が進んでいている事が前提です。各植民地には、得意品目だけ産出させて、宗主国の工業製品を買わせる市場になってもらう仕組みですから、拳だけではダメなのです。

戦後の新自由主義は、各生産国が得意品目の生産に特化する分業と言う名の下に、欧米メジャーに買い叩かれて貧困化する構図が、新しい植民地主義と批判されていましたが、確かに似た仕組みですね。

ところで、明治維新後の日本は、自国産業が未発達なままで軍事的に植民地を獲得して行った為、欧米と同じ様な事は出来ませんでした。維新後直ぐに韓国や台湾を軍事的に占領しましたが、押売り出来る自国製品は限られており、文字通り拳によるカツアゲだったのです。

第二次世界大戦時の東南アジアでも、大軍で押し寄せて宗主国を追い出し、直接に人間までを含む諸々を収奪しました。現地の人々にとっては、欧米によるモノカルチャー化と製品押売りと言う形の収奪よりも、よりダイレクトな生々しい収奪だった事でしょう。

当時の日本がプロパガンダしていた共栄圏が、東アジアや東南アジアの国々に受け入れられず、寧ろ宗主国に味方する人数の方がずっと多かった事や、産業力に勝る欧米諸国が戦争用の軍備で戻って来ると太刀打ち出来なかった事は、当時の事情をよく物語っているでしょう。

日本軍は自国の事を分かって貰おうと、占領地の人々を集めて〝教育〟を行いましたが、人々は解放されると、その足で直ぐに連合軍に加わるケースも多かったと言います。

日本では、当時の事や現代のオワコンを、欧米とアジアの文明対立の様に言う人々もおりますが、当時の記憶が有るアジアの人々の心には響かないでしょうね。別に、アジアの人々は宗教や文化の故に滅ぼされなんかしませんし、日本が滅ぶとしても、それに同席する義理なんて全く存在しないでしょう。

それどころか、戦後も日本は多くの制度が残存し、かつての日本復活を唱える政治家が多い党が長年の政権与党でした。ですからアジア諸国からは、寧ろかつての野蛮さの復活を恐れられるのは当然でしょうね。