学校教育の世界史授業で…
「古代ローマに始まる欧米の奴隷制度では、奴隷としての販売価格を支払えば、奴隷身分から買い取って自由民になる事が出来た…つまり、奴隷自身が自らを買い取り、自由民になる事が出来た。」
…と教わると、初めて聞いた時は、皆んな目が点になりますよね?
何故かと言えば、制度的にも概念的にも、日本の被差別部落などとは、全然違うからですね。
昔の日本の被差別階級は、血筋•家柄による職業身分の話であり、自らを買い取って自由民になるなんて、全く思いもよらない認識世界ですからね。
多分、日本のこの認識は、アジア的と言うよりも、インド世界的なのだと思います。
何故なら、中華では「士農工商」と言う四字熟語は、単なる世の中の職業分類に過ぎず、奴隷階級出身でも皇帝にだってなれる世界だったのです。
しかし、この四字熟語は日本では血筋•家柄による職業•階級概念に変化し、しかも「穢多•非人」と言う、階級外の被差別身分付きの制度になっていました。日本では被差別身分出身者は、天皇どころか士農工商にもジョブチェンジする事は出来なかったのです。
つまり日本の伝統社会は、東アジアや東南アジアの諸国とは違い、カースト制とアウト•カースト(不可触民)と言う、完全にインド世界式の社会制度だった事が明確に分かります。
何故?地理的条件を飛び超えて、周辺諸国よりも、インド世界と社会制度が似ていたのか?の説明は詳しい人々に譲るとしても、とにかく過去の史実はそうであったのです。
これが、日本人が、制度としては古代ローマに始まり、アメリカ南北戦争での北軍の勝利まで続いた欧米の奴隷制度に付き、初めて聞いた時のビックリの根本原因でしょうね。つまり、奴隷と不可触民は、概念や身分•制度が全く違うと言う事ですね。
奴隷は解放されれば自由民。不可触民に生まれたら何をどうやっても不可触民。この両者の概念の違いは、近代になり、制度的に両者の差別が否定された後、どの様な境遇の変遷を辿ったか?で、明確に明暗が分かれたと思います。
人間個人個人の意識に差別感情は残っても、制度として廃止されれば、旧被差別階級でも大統領になれる世界と、決してそうはなれない世界ですね。
くしくも、日本政府は、国家社会主義を掲げカースト制への回帰復活を唱える、インドの現政権与党との価値観の共有を、度々公式に表明して来ました。
日本政府は、インドとの価値観の共有を度々表明しているが… - ミュータントはコバルト爆弾を崇拝するか?
日本が再び、世界と対立するハミ出し国家となった時に、日本の滅亡に巻き込まれる事が無い様、インドの方々には助言したいですね。