ミュータントはコバルト爆弾を崇拝するか?

超管理社会としての日本社会は、超監視体制を実現しており、社会全域を監視ショー会場へと変えています。 市民達は超管理社会に従属する見返りに残虐な監視ショーを与えられ楽しんでいるのです。 この666的な文明が科学崇拝や環境破壊の原因でもあります。

死の崇拝をイデオロギーにする国家(民族)社会主義は、フツーに滅亡のテッパンなんだよ!冗談でやってんのか?

本日は、用事が有って、久しぶりに都会に行きました。

TIである私は、都会の雑踏の中で、もう物凄い憎悪の渦•圧力に圧倒される状態でした。人間の憎悪と言うのは、本当に凄まじいですね。

センシングされた私の脳波と、AIからの脳操作とを共に送信されている人々は、実に幸せそうにワケの分からない酷い事を言うのです。

この様な悪意に長時間晒される事は私には本当に辛い事ですが、一方でそれが人々の幸せでもあるわけです。この憎悪による幸せと言う感情は、死の崇拝の一種と言って良いかも知れませんね。

死の崇拝とは、生命ではなく、死や殺人に価値を置く文化や価値観の事です。殺人行為や犯罪行為に御利益が有る…なんてのも含みますね。これって実は、日本を指す言葉として、近代に造語されたものなのです。

これと、国家(民族)社会主義の組み合わせって言うのは、フツーに滅亡コースのテッパンなんですよね。国家(民族)社会主義は世界的に否定が共有されているのですが、日本では何故かそれが共有されていませんね?一番当事者なのに…

日本向けの、日本が本命の造語や、普遍的に否定されている体制が、日本でこそ知られていないと言うのは、何とも…です。日本の未来を暗示している様に思います。

そんな中で…

TIの皆さんは、ムリムリに強要されているのではないでしょうか?、やれ、ご自分のご家族を捨てろ、リーダー達の持ち逃げを助けろ、市民の御利益殺人の犠牲者となれ、彼らの代わりに犯罪者となれ、と。被害者さんによって、少しずつ内容は違うみたいですけどね。

いやはや殺人行為に御利益が有るっていう、中々独特な文化の中で、TIが生きて行くのは凄惨な事ですね。殺人に御利益を期待するなんていうだけに、後で罪悪感を感じてくれませんしね。

元々、私は人々の残酷さと恐れ知らずさって、ネジが飛んでる様に見えると思うんですよね。だって、敵国条項のカタにハメても、周りをぐるっと核保有国に囲まれても、核シェルターが全然無くても、全く恐怖を感じない故に、抑止力もまた効かないと言う、実に恐るべき人々に見えるんです。

多分、残酷な人々って恐れにも不感症なのかも知れない?と思うんですよね。ですから、TIの立場から見ると、人々一人一人のあの眼差し•表情と言い、子供の頃から身に付ける特有の性質と言い、本当に恐ろしく感じるんですよね。

でもですね、陰謀説とかで言う通り、もしかすると、日本と言う国は滅びる可能性がありますよね?(日本以外の国々は滅びない様ですけど。)

もし、この滅びゆく人々の中で、TIが迫害され差別される立場ならば(この残酷な人々には悪いですけど)これを奇貨として生き残りたいものだと思うのです。

人々は、TIに対し、不思議な不平を伝えて来ますが、TIはこの様な社会の中で、人権の外側の身分とされて虐められているのですから、そう望むだけの充分な苦しみを経ていると思うのです。

この社会のオーガナイジングには、統制社会としての国家(民族)社会主義を感じます。しかし、死の崇拝をイデオロギーにする国家(民族)社会主義の運命は、前回のそれと同じになるでしょうから、結局は安心でしょう。