ミュータントはコバルト爆弾を崇拝するか?

超管理社会としての日本社会は、超監視体制を実現しており、社会全域を監視ショー会場へと変えています。 市民達は超管理社会に従属する見返りに残虐な監視ショーを与えられ楽しんでいるのです。 この666的な文明が科学崇拝や環境破壊の原因でもあります。

日本が大量破壊兵器を持つ事は、即、人類滅亡リスクと受け取られるんじゃないかな?

先の大戦時の日本の政策や作戦を決定していた指導者層には、開戦最初から敵の殲滅か自己の全滅かと言う絶滅戦を唱える者達もおり、彼らが方針決定をリードしていました。

15年戦争を通しての作戦行動や占領地でのふるまい、敗退中の顛末などの記録を見ると、行動原理が不明な、実に不思議な集団だったと言う印象を外部に与えたのは、想像に難くありません。

例えば欧米から見て、イスラム圏や中華圏が対象ならば、その文脈で相手の素性は分かるかも知れませんが、日本と言う対象は奇をてらう事を狙ったかに見える様な行動が多い相手であった事でしょう。

実際現在も、国連憲章敵国条項の最後の適用国であり、周囲を核保有国に取り囲まれ、諸外国と異なり核シェルターを全く建造していないにも関わらず、抑止力を感じる事も無く憲法改悪と再軍備化に邁進していますね?

「何だ、この人達は?恐怖を感じないから抑止力が働かないのか?」と不思議に思われているかも知れませんよ。

オマケに核武装論まで出て来ていますね?しかし、もう一般にも有名な小話と化していますが、日本には既に核兵器を作る材料も技術も設備も全て備わっており、いざ作るとなれば極短期間で完成出来ると昔から言われています。

でも…行動原理が不明で、予測不能な人々が、大量破壊兵器の発射ボタンを持つ…それって、外部から見たら、人類滅亡リスクの放置とも受け取れると思いますよ。日本人には不服でしょうけどね。

記録資料を残さない文化である日本とは違い、欧米や中華圏は過去を水に流して無い事にはしません。彼らには、過去の日本の指導者層の言説は、時間が経っても変わらず過去事実の記録なのです。

多分、日本が大量破壊兵器保有する事は、何れの陣営かに関わらず、容認される事は有り得ないと想像は働かないでしょうか?

恐らくもう、日本の再軍備化とその後に続く核武装化は避けられないベクトルでしょう。ですから、その反応としての日本絶滅のベクトルも避けられない事だと私は思います。大西洋憲章から国連憲章に至る、国際社会の合意事項を見れば、それは避けられない事態でしょうね。