日本は制度として政教分離ですが、何故か人々は本当に意味が理解出来ない様に育まれています。ですから、トランプ派教会なんて存在しないと言うのも、本当に理解が出来ない事の様です。
政教分離は、古代ローマ帝国の各役職別の権限と言う意味からも、また、キリスト教の教理や教会史のいずれからも説明出来ますが、以下には、単に人間個人を崇拝する教会は存在しないと言う面から、ちょっと説明致します。
世界にはアブラハムの宗教と言われる宗教があります。皆んな同じ創造主としての神を信じていると言う意味です。
アブラハムの宗教の神の言葉には、世界中のあらゆる宗教団体に於いて、3つの種類しか存在しません。聖書とコーラン(クアルーン)です。つまり。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の啓典ですね。時系列的に、キリスト教はユダヤ教の、イスラム教はユダヤ教とキリスト教の両方の啓典を網羅します。
例えばキリスト教であれば、世界の東西南北全てのキリスト教会で、同じ内容の聖書を使っております。そして、他のアブラハムの宗教と同じ創造主を「三位一体の一人の主」として礼拝している点でも全てのキリスト教会が同じです。
しかし、日本ではトランプ派教会とか?オバマ派教会とか?アタナシウス派教会?なんて言う、個人崇拝の宗教が存在していると思われているんですよね。キリスト教では礼拝の対象は三位一体の主と言う事が分からないからでしょう。
実際、調べて頂ければ分かりますが、そんな、三位一体の主以外のものに対して礼拝を行うキリスト教会なんて、一つも存在しません。
(アタナシウスと言う人物は、ニケア信条を定めた公会議で、上司のアレクサンドリア大主教の代わりに発言した助祭の名です。もちろん彼は教派など作ってはいません。)
この日本人の認識は、原因を枚挙すれば、かなり沢山挙げられると思いますが、簡単に言うと以下の様な感性から来ているのでしょう。
日本人の感性では、個人や故人への崇拝の習慣とともに、「まつりごと」感覚から来る、政教一致と言う以上に本当に区別が付かない…と言うか存在しない、そんな日本社会の伝統的な感性から来ている物ではないでしょうか?
(「まつりごと」は漢字で書くと「政」一文字です。祭祀、宗教、政治に区別が無かった、伝統的な日本の社会制度を表す言葉ですね。)
ですから、日本の人々に政教分離は説明不能なんですよ、実際。日本の人々にトランプ派教会なんて実在しない理由を説明しても仕方無く、単に存在しない事実を示すのみが良いのでしょうし、また、政教分離も、公式の場ではおはらいとかをやらない等の話に変換して済ます他無いのでしょう。
これは、必ずしも欧米との違いと言うだけでは無く、アジアの中でも珍しい文化の様です。
実はアジアでも、日本以外の島国では、アブラハムの宗教を信じる人々がマジョリティの国々の方が多いのです。
アジアの島国を思い浮かべて下さい、インドネシア、ブルネイ、フィリピン、東ティモール…みんなアブラハムの宗教がマジョリティです。マレーシアなんかも半島ですが、ムスリムが多いですよね。
仏教徒がマジョリティの国々は、大乗も小乗もみんな大陸に在る互いに陸続きの国々です。そして、そこには日本の神社なんて存在しないので、仏教と神社の習合も存在せず、全然雰囲気が違うのですね。
日本国内でも、精神的な情報は、東•東南アジアの仏教の情報よりも、インド世界の情報の方が情報量がずっと多いですよね?
政教分離の意味が理解出来ない「まつりごと」の日本世界は、アジアの中でも特殊なのですよ。欧米対日本じゃなくて、世界対日本の違いなんです。
日本の常識は、世界のスタンダードには成り得ないでしょうね。日本人の脳内認識の外側に存在する世界の現実は、比べ様も無く大きいと言う事でしょう。
と言う事で、啓典の宗教に於いては、世界中どこでも同じ創造主に対して礼拝が行われており、政治家だけでなく宗教家に対しても個人崇拝は行われていないのです。
ですから、調べて頂ければ分かりますが、トランプ派教会とかオバマ派教会なんて存在しないのです。
とは言えやはり、日本の人々には説明しても通じず、逆にAIがジェネレートした個人崇拝のストーリーなんかを喜んで信じちゃうんでしょうけどね。偶像としてAIを信じているのがよく分かります。
まさに、言葉さえ話す様になった偶像に膝を付いていますね。