ミュータントはコバルト爆弾を崇拝するか?

超管理社会としての日本社会は、超監視体制を実現しており、社会全域を監視ショー会場へと変えています。 市民達は超管理社会に従属する見返りに残虐な監視ショーを与えられ楽しんでいるのです。 この666的な文明が科学崇拝や環境破壊の原因でもあります。

聖書の原典の文字は一点一画変更してはならない。従って誤訳の文字からストーリーを紡ぎ出すのは反逆である。

日本では以前から「何で、キリスト教徒は時代に応じて柔軟に聖書の内容を変更しないのだろう?」と、不思議がる声が多数聞かれます。

洞窟から出て来た「グノーシス主義の聖書」を基に新たな全宗教共通聖書が書かれるらしい、なんて言う話が信憑性を持ってしまうのも、そんな感覚が背景にあるのでしょう。

日本人の約99%は非キリスト教徒ですので、聖書を書き変えても良い筈とか、書き変えれば日本に有利な様に将来が変わるかも、などと考えるのも無理はないのかも知れません。

しかし念の為今更ながら言うと、聖書とは2000年来世界中で大量に出回り読まれて来た物で、その聖書自体に文字の一点一画足したり引いたりしてはならないと書いてある事は皆んなが知っています。

それに聖書は神様が人間に与えた御言葉であり、戒めや計画が書いてある文章ですので、人間が書き変える事によりデスノートみたいに将来を変更出来るものではありません。

ですから、非クリスチャンが知らずに言うのならともかく、クリスチャンが知った上で言うのは意味が変わって来ます。

私が言いたいのは、エゼキエル戦争なる話についてです。

エゼキエル書旧約聖書に収録されている書で、新約聖書ヨハネの黙示録はここから多くを引用しています。

このエゼキエル書の原典はヘブル語(ヘブライ語)で書かれているのですが、これをギリシャ語に翻訳した時に名詞の誤訳があり、その誤訳の語感・語呂合わせから、現代のロシアとイスラエルが終末戦争で相目見えると言うストーリーが生まれました。

ですから、誤訳が無ければ、このストーリーは生まれなかったのです。聖書は原典の意味を損ねる翻訳を行なってはいけません。ですから誤訳から生まれたストーリーは、聖書の戒めに逆らうストーリーです。つまりエゼキエル戦争は改ざんによるストーリーですから、聖書のメッセージとは関係無いと言えると思います。

このエゼキエル戦争の元ネタは、恐らく冷戦期の中東戦争でしょう。当時イスラエルと戦っていたアラブ諸国ワルシャワ条約機構側の規格の兵器を提供されていました。ですから、終末戦争に無神論国家がサタニスト側で参戦すると言う話が想像されたのではないでしょうか?

しかしその後、多くのロシアの人々はヨハネの黙示録の通りに、赤く燃える星がチェルノブイリ(苦よもぎの意)に落ち、水が汚染されて多くの人々が亡くなったのを見て、時の到来を予期したのではないでしょうか?ソ連解散後のロシアは、非常にキリスト教的になっています。

ですから、誤訳から考え出されたエゼキエル戦争のストーリーは、もう賞味期限切れなのです。

現在の現実の状況も、エゼキエル戦争とはかけ離れている様に見えます。ロシアにとって、ウクライナ戦争を停戦に持ち込むには、アメリカ大統領は共和党から出てもらう方が良く、共和党支持者にはシオニストが多い事から、ロシアがイスラエルに宣戦布告などまず有り得ない様に思えます。

日本のクリスチャンは、何故にエゼキエル戦争の話をするのでしょうか?日本のクリスチャンは、クリスチャンが多いロシアが、キリスト教の聖書が語る終末戦争の敗者であると語り、また復活多神教ローマの666は、かつてのローマ帝国の跡地である欧州連合であると言います。

でもですね。ヨハネの黙示録が語る終末戦争とは、キリストと神の民の勝利と、サタンと多神教の絶滅を語っているんですよ。

変ですよね?これは、日本のクリスチャンが、他の非キリスト教徒日本人に向けて、誤訳から紡ぎ出したストーリーで勝ち馬に乗れば、多神教徒が99%を占める日本人でも終末戦争の勝者側になれますよ、と言っている様にも見えます。

変更を許されない聖書の、誤訳から来る語呂合わせ由来のストーリーが、状況にそぐわない中で、多神教徒が多数派の日本人に向けて、復活多神教ローマは欧州連合で、ロシアも敗者だと警告?しているのです。

本末転倒かも知れませんね?聖書のストーリーからの警告ならば、多神教徒はサタン側陣営で全滅する事になっており、日本人が望むような、聖書の変更による回避は不可能であると警告する方が本来の在り方なのではないか?と思うのです。

聖書の原典の文字は一点一画変更してはならず、誤訳した文字の語呂合わせからストーリーを紡ぎ出すのは、御言葉に反するからです。

 

欧米の古い絵画を見た時に、主題がキリスト教のものか?ヘレニズムの物か?区別が付かない人々が多い…と言うより区別の意味自体知らない人々が多い。

皆さんは、欧米の古い絵画を見た時に、その絵の主題がキリスト教のものか?ヘレニズムの物か?区別が付きますか?

私の印象では、付かない人々が圧倒的に多いですね、日本では。と言うより、何を言われているかが分からない人々が多い様です。

 

欧米の歴史を見ていると「異教」と言う言葉がよく出てきます。この言葉は、自分達とは異なる宗教と言う以前に、アブラハムの宗教で社会が更新される前の多神教、と言う意味合いで使われています。

 

それは欧米以外でも同じで、「異教アラビア時代」など「異教〜」と言った場合、それはアブラハムの宗教を受容する以前の、多神教時代を指します。

 

このアブラハムの宗教は、日本では一神教と言われる事が多く、且つ、アブラハムの宗教以外のものも含めたがりますが、それでは翻訳語にはなりません。

 

欧米では、BCとADの境目、もしくは、その300年余り後のローマ帝国キリスト教化によって時代の更新がありました。それ以前の時代の欧米は多神教であるヘレニズムの時代で、それ以降の時代はキリスト教の時代なのです。

 

ですから、ヘレニズム文化が復活したルネサンス時代の絵画には、主題がヘレニズムの物とキリスト教のものの両方が有るのです。

ルネサンスには、ギリシャ・ローマ以外の物が主題の場合もあります。例えば北欧ルネサンスと言えば、それは北欧地域がキリスト教化によって更新される以前の物が主題になっています。

 

そして、ルネサンスが始まった時代よりも少し後の時代には、ルネサンスとは逆のベクトルを向いた運動である宗教改革も起こっています。

宗教改革は、英語ではリフォメーションと言い、新しい物を生み出したと言うよりは、キリスト教の聖書信仰に立ち戻ると言う聖書信仰復興の運動です。プロテスタントとは聖書信仰なのです。

 

ですから、ヘレニズムつまり多神教復活のルネサンスと、それに対して、アブラハムの宗教であるキリスト教の聖書信仰に立ち戻る運動であるリフォメーションとは、それぞれ正反対の運動です。

欧米の文化文明は、これ以降、これらの正反対、対極的な要素を併せ持つ事になりました。

 

欧米の古い絵画を見た時に、主題がキリスト教のものか?ヘレニズムの物か?区別が付かない人々は、この事に付いて判別が付いていない訳です。

そして、日本と言うのは絵画以外でも、一時が万事この状況に溢れているのです。

日本はサタニズムが国是なのだから、その保守はサタニズム。たとえ反日でも多神教のままじゃ同じ。

日本は、他の国の様な「丘の上の町」の国でも、ビザンツ帝国の継承者でもありません。
日本は元来サタニズムを国是として来た国です。最近になり、今まで右派保守であった人々が、一斉に雪崩を打った様に手の平を返して反日化したのも、終末戦争でサタニズム側と見做されないようにとの思惑からです。
そして、それに変わり他の人々が日本を守ってくれるべきだと主張しています。

 

しかし聖書を読めば分かりますが、終末戦争に於いては滅ぼし尽くされるのは666陣営、つまり世界中の全ての多神教徒となっていますから、今更反日になったからとて、反キリストのままでは全く意味が有りません。

 

また、「丘の上の町」の国やビザンツ帝国の継承者である国の宗教右派とか宗教保守と言われる教派は、多神教に対しては辛辣です。決して保身の為に急に反日ぶっている人々の代わりに、サタニズムが国是の国なんて守りませんよ。

 

加えて言えば、日本のクリスチャンで愛国的、右翼的、保守的な人が居るとすれば、それはサタニズムに味方しながらクリスチャンをやっている様な物ですから、キリストにとって相応わしくないクリスチャンになると思われます。

 

つまり、日本は始めから詰んでいるのです。

多神教徒が反日ぶっても、それで神の民になる訳ではありません。他国のクリスチャンが日本のアンチクライストを守る事もありません。そして日本のクリスチャンが愛国的であれば主に相応しくないのですから。

聖書の終末戦争(ハルマゲドン)とは、聖書の神とサタン(多神教・神話・ヘレニズム等)による決戦の事で、もちろん聖書の神が勝利される事になっている。

ハルマゲドンとは、メギドの丘(ハル・メギド)の戦いと言う意味です。

メギドの丘は、古来度々戦場になって来たイスラエル北部の古戦場・遺跡です。慣用句で天下分け目の決戦と言った意味で使われる為、地理的に必ずしも聖書の終末戦争の舞台になるとは限らないと言われますが、神の民を滅ぼそうとするサタンの勢力との決戦の場と言う事で使用されて来た訳です。

聖書の神とは、創造主であり、アブラハムの宗教を信じる啓典の民の主ですね。例えばキリスト教の場合は、天の父・子なるキリスト・聖霊の三位一体、三つの位格を持つ唯一の神です。

それに対しサタンとは、聖書の中では被造物である天使が反逆し、醜く姿が変形したり、姿を偽った物とされています。具体的には世界中の多神教、民族神話、ヘレニズムやルネサンス等から来る科学崇拝・哲学・占い・魔術などですね。

聖書の中で名指しで登場する多神教の神々としてのサタンは、古代に神の民の周辺地域に住み抗争を繰り広げていた民族の神々ですが、それ以外でも世界中の全ての民族神・神々はサタンであるとされ、それらには偶像崇拝を行うなどの共通した特徴があります。

ハルマゲドンは、この両者による決戦で、勿論聖書の神が勝利される事になっています。

サタンは、創造主である唯一の神には勝てない事が自分でも分かっているのですが、それでも何とかしようと地上の権力者や人間達を召集し、様々な策や技術を巡らし、神の民を殺していきます。しかし、最終的にはキリストとしての創造主により一掃され滅びる事になります。

このハルマゲドンの記述は、旧約聖書の預言を大幅に引用されて書かれた聖書の最終巻に位置します。ヨハネの黙示録ですね。このヨハネは洗礼者ヨハネではなく、12使徒の一人である使徒ヨハネで、彼はヨハネ福音書ヨハネの手紙の記者でもあります(因みに英語圏からの仮名表記だとジョン、フランス語圏からだとジャンとなりますね)。

ヨハネの黙示録は、最近になり急に脚光を浴びた訳ではなく、聖書として2000年前から変わらずに在り、今までも大政変などの度毎に時代に重ね合わされて来ました。そして、その度にサタン、つまり多神教やその要素を内包した勢力は数や力を減じて来ました。

しかし同時に、ルネサンスにより文化の衣を被って復活した多神教要素は、科学や哲学等の形を取って再び人間社会に入り込み、地位を獲得していき、WWⅠとWWⅡの戦間期には大量消費文明、大量殺戮技術などを生み出すに至りました。

例えば、皆様もご存知である戦前ドイツのナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党の略称)の、特徴的な敬礼や逆さ万字は、多神教時代のローマ帝国軍式敬礼や、多神教で太陽を表すサインを取り入れた物です。当時のナチス共産主義も、それぞれ違う形でのヘレニズム要素の復活発展形なのです。

第二次世界大戦による枢軸側敗戦で、一旦はサタン的要素を減ずる事が出来ましたが、世界中にその要素は残存し、最近のテクノロジー急発達による科学依存・科学崇拝・管理監視社会として、それらは再び頭をもたげ世界に君臨しつつあります。

ですから、この時代にヨハネの黙示録を適用して事態を受け止めるのは、今までの世代が経験した事とは一味違います。現代の獣、荒らす者は、テクノロジーを駆使した、今までで最も聖書の記述を具現化した敵ですからね。サタンはともかく、召集された人間達は、今度こその勝利を確信している者も多いでしょう。

しかし、今までの世代でヨハネの黙示録が繰り返し引用され適用されて来た様に、サタンの残存勢力側の論理も繰り返し使い回しです。テクノロジーが以前より発達しているだけで、論理には焼き直しが目立つのです。それがフェイクを見抜く鍵にもなるでしょうね。例えば日本人が支配的になる事でアジアを解放するなんて、焼き直しと言うより戦前直輸入ですよね。

世界は、大昔から聖書の神と、被造物であるサタンとの戦場であり、その構図は変わらないのです。

聖書は偽り無き神の御言葉であり、その計画は聖なる不変のものです。例えサタン側勢力が、2000年来変わらない聖書をグノーシス主義に書き換えなどしても、その通りになどなりません。もし、今回こそ本当の終末戦争であるならば、それは今回こそサタン勢力は滅ぶと言う事です。

世界は聖書の神とサタニズム(多神教•神話•ヘレニズム)のせめぎ合い。

聖書の神とは、いわゆるアブラハムの宗教の神で、キリスト教では三位一体の唯一の主、創造主です。

サタニズムとは、被造物である多神教や神話、ヘレニズムやルネサンスなどを起源とする科学崇拝、哲学、大量消費文明などです。神を否み偶像崇拝するのが共通の特徴です。また、供物など行為手順で事象に変更を来せると考えている物が多いようです。

世界は昔から、この二者の戦場でした。

現在は、戦間期に強まった大量消費文明によるサタニズムが最高潮を迎えた終末期です。その中で、日本で代理支配層を占める指導部は、サタニズムに加担して聖書を書き換える事による支配の継続と権力の増加を狙って来ました。

しかし、聖書の書き換えなどは決して実現出来るものではなく、日本の行く末は明確です。

今や日本の市民は、無線経由での遠隔マインドコントロールでラジコン状態の中、記憶•認識もマンデラエフェクト的に不明瞭な脳で、決して勝利し得ないサタニズム側にて終末戦争に参戦しているのです。

ロシアが負け組だからロシア叩きに参加すれば…なんて雰囲気は偽物ですよ。ロシアは核兵器保有する国連常任理事国であり、宗教的にも世界の正教会の中心つまり東ローマ帝国の継承者です。台湾有事を導火線に対露宣戦で、日本は火の海になりますよ。

日本は歴史の始めから、666を担いで立つ為に育まれて来た存在です。終末戦争で集団として生き残る事はありません。市民達は指導部を信じて活動に勤しんでいますが、何をやっても聖書の記述は一点一画変更される事はなく、聖なる神の永遠の御計画は全く変更されません。

この世界は歴史の始めから聖書の神とサタニズム(多神教•神話•ヘレニズム)のせめぎ合う戦場であり、日本と言う集団の至る結末も始めから決まっているのです。日本人は何事も民族単位、国単位ですから、殆ど生き残らないでしょうね。

日本の代理支配の大目標は「聖書の書き換え」による生き残りであり、ワンチャン世界支配をも狙っているそうな。

聖書は、偽り無き神の御言葉であり、その文字は一点一画変更される事はありません。今までも、変更されたためしが無く、英語だろうがロシア語だろうがドイツ語だろうが、内容に変わりはありません。

日本の人々は、現在…と言うよりこの二千年間変わらず聖書には何と書いてあるか?は知らずして、その変更による生き残りを全体の大目標に掲げた指導部を信じ、色々な活動をしていのだとか。

やれ、死海の洞窟から出て来たグノーシス文書を元に…なんて話ですね。聖書の終末に付いての記述を書き変えれば日本人が生き延びる事が出来るし、何なら支配者になれるとも書き加えて貰おうなんて話です。

聖書とは変更が可能な物であるかどうか?とか、日本の外部に広がる世界の大きさ等は知らないまま、指導部を信じて活動に励んでいるわけですね。この活動は決して止められないでしょう。

聖書を書き換えたい日本の大目標と活動は変わらず、また、もちろん聖書は今後も一点一画変わらないワケですから、結論もまた見えていますね。

結局、聖書に書いてある事は必ず成就するのです。勿論、日本人が出国ラッシュなどになるのは良くない事ですし、それが一番良いのです。

聖書は聖なる神の、永遠に変わらない計画なのです。

 

聖書は偽り無き神の御言葉であり、人間により生み出された哲学や伝統に付いては否定•警告している。

キリスト教ヘブライズム系統であるのは言うまでもなく、ヘレニズム系統のギリシャ哲学などは本来は聖書の中では否定されています。

神からのものでない、人間が編み出した事を宗教として信じる事には、本来非常に否定的なのです。それは、神ご自身が以下の様に戒めています。

 

「イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。 『この民は口先ではわたしを敬うが、 その心はわたしから遠く離れている。 人間の戒めを教えとしておしえ、 むなしくわたしをあがめている。』 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」 更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭7‬:‭6‬-‭9‬ 

 

「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。」
‭‭コロサイの信徒への手紙‬ ‭2‬:‭8‬ 

 

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。 それは、こう書いてあるからです。 「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、 賢い者の賢さを意味のないものにする。」 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」
‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭1‬:‭18‬-‭21‬ 

 

偽り無き神の御言葉である聖書と、人間の虚しい言い伝えに過ぎない伝統や、虚しい考えに過ぎない哲学は、キリスト教では始めから明確に区別されて来た事です。