ミュータントはコバルト爆弾を崇拝するか?

超管理社会としての日本社会は、超監視体制を実現しており、社会全域を監視ショー会場へと変えています。 市民達は超管理社会に従属する見返りに残虐な監視ショーを与えられ楽しんでいるのです。 この666的な文明が科学崇拝や環境破壊の原因でもあります。

「贖い」の意味が分からない人々と言うのは、世界中で日本人だけかも知れない。

 この文字は本来、中国語の文字であるから、発明者である中国人には贖いの概念は勿論有ったのだろう。音読みはショクである。

 日本語にも「あがない」と言う訓読みが有るが、贖いにしろ、贖罪にしろ、キリスト教以外の話では、使われるのを見た記憶が皆無だ。

 贖いが分からないと、決してキリスト教は理解し得ない。旧約聖書新約聖書の全66巻は、全てが、十字架上のキリストによる罪の贖い、贖いの御わざを指し示しているからだ。

 キリストを信じるクリスチャンも、贖い出して頂く事により、キリスト者の自由を得させて頂く事になっている。つまり、贖いが分からなければ、後の話は全部分からないのだ。

 日本人クリスチャンの中には、贖いの意義をスルーしている人さえ居るようだか、それも日本人に贖いの意味が分からない人が多いからだろう。でも、それではクリスチャンとは言えないのだ。

 

 日本人には、自己の特徴をアジアの特徴としてすり換え、アジア対西欧の対立にすり替える癖が有るが(非常にアンフェアな詐欺だ)、この贖いの意味が分からないと言うのは、他国人にはあまり無い話なのでは?と思う。

 贖いの近似語は、賠償、身請け、身代金、保釈金などだが、これらを駆使しても、あまり日本人にはピンと来ない様だ。

 日本社会は性善説が強く、法律もそれに基づいて作成されているし、人間とは信じるに足るもので人間を信じる事に意義が有るとか、有名な「人を信じて傷付く方が良い」とか、全体的に、自分達は罪を知らないイノセントワールドと言う認識世界を打ち出して来た。

 時代劇の裁きの場の白洲は、実は後の時代の創作で借用とも言われるが、その裁きでも賠償は発生しない。大岡裁きは下手人には実刑、被害者には労いの言葉である。(武家の法は、喧嘩両成敗から来ているので、そんなものなのだ。)

 性善説で喧嘩両成敗の世界では、罪とは何か?その贖いとは?と言う事は、問題とされなかったのかも知れない。そんな社会だから、有識者達も善悪とは快不快を基準とする、なんて書いて出版するのだろう。

 

 贖いが分からない人々には、贖いが、まやまやポンやSMにさえ見えるらしい、そんな人々は単純に怖いのであるが、お分かりになるだろうか?

 もしも、メキシコの人々が現代のメキシコ人の様では無く、今でも古代アステカ人やマヤ人と同じ習慣を続けていたら、どの様だっただろう?色々なイデオロギーはさて置き、怖いに違いない。

 もし、そんな人々が自分達では善人と思っていて、しかも罪に対する報酬さえ要求するとしたら?もう、怖いだけでは済まされないのだ。

 実際日本は、個々人はナメられているかも知れないが、集団としては怖がられていると思う。

 

 日本の人々が贖いの意味を最後まで知らなかったのは、罪とは何かを最後まで知らなかったと言う事でもあるだろう。

 それは、日本が歴史の始めから、罪に対して報酬さえ求める人々、神に敵対して666に従う人々として用意されて来たからだと思う。

 だから、もうこのままで良いのだろう。